2006年06月15日

I HAVE A DREAM

I HAVE A DREAM
リンカーン記念館前にて

 この場所でのキング牧師による
「I HAVE A DREAM」の演説は有名ですよね。
ちゃんと彼が立った場所もはっきりと彫られて
いました。果たして本当にあの位置にキング牧師は
立ったのだろうか。

 ということで、記された場所に立って、目を閉じ俺も叫ぶ。・・・心の中で。
「I HAVE A DREAM!!」 内容は以前日記に書いたので、今回は省きますがね。

 前日の夜にも軽く回ったのだけど、どこもライトアップされている。議事堂から
リンカーンから、ワシントンモニュメントから、その他色々。なんだか、やはり日本と感覚が
違う気がする。
 例えば、韓国戦争慰霊碑。韓国戦で戦没した兵士たちの慰霊碑なんだと思う。たぶん。
俺の英語力で理解する限り。韓国に上陸し歩いていく兵士たちの像を並べ、それを
ライトアップ。その隣には戦没者の名前が刻まれているらしい黒い石の板のようなものが
あるが、それもライトアップされていて、その石にうっすらと戦没者の顔が印刷(?)
されている。

 慰霊碑っていうのは、戦没者を慰霊すると共に、それを後世に伝えていく役割の一部を
担っていると個人的には考えている。戦争関連の内容については色々と述べたいところ
だけど、長くなるので今回は我慢。
 そう、アメリカを歩いていてずっと思っていたコトなのだが、日本との大きな違いの一つが
ここにある気がする。
 アメリカは何でも“目で見る”という形にして、それでもってアートにしている気がする。

 「後世に伝えていく」という意味では、そのときの状況を想像しやすいアート的なものの方が
分かりやすいのかもしれない。しかし、第二次世界大戦、日本国内で唯一上陸戦が
行われた背景を持つ沖縄で小学時代を過ごし、小さいころから戦争体験談を聞いてきた
俺としては、小さいながらにも、戦争の悲惨さや重みなどはそれを体験した人の言葉から、
それを聞いた人の言葉へと後世に伝えていくもので、そういうことが大切なのであり、
慰霊碑なんてものは、聞いた体験談を自分の頭の中で思い返すための場所の
ようなもので(平和を考えたり、あ~だこ~だ)、文字だけで十分だし、逆にそういう
シンプルな形でなければいけないと小学生の幼い脳みそなりに考えていた。新しく作るの
ならなおさらだと・・・。
 俺が毎年沖縄の“平和の礎”(戦没者の名前が書かれた黒い石)に行くのはそのためだ。
祖母から聞いた体験談の再確認。どこで亡くなったのか分からない親戚への挨拶。名前は
あってもそこに親戚がいないとは分かっているんだけどね。そういうものではないんです。

 まあ、そんなわけで韓国戦争慰霊碑にすごい違和感を感じた。造る側の趣旨が
慰霊ではなく、別のところに向いているような気がしてならなかった。エンターテイメントの
国って言いますか、なんと言いますか。
 確かに平和の礎もジグザグにしたりしてデザイン性を取り入れているし、その隣にある
平和資料館の中には像やらなんやらあるけれども。・・・ん?あれ?結局は同じ?
・・・はい、思考ストップ。うわ~、せっかくここまで書いたのに分からなくなってきてしまった。
あ~あ~あぁ。いや、分かっているんだけどね、軽く一人パニックです。小パニックです。
 ・・・10月に一週間沖縄に行く予定があるし、そのときにもう一度考えよう。

 今回の旅の欠点に最近気づいた。一つのことに対してゆっくり考えて掘り下げていく
時間がない。次から次へと新しい情報が入ってきて、思考が追いつかなくなっちゃうのね。
結構なハイスピード(?)で行ってるからな~。半年くらい時間をとってゆっくり回れれば
良かったんだけど。まあ、仕方ない。資金面やら就職やら何やら、他にもやらなきゃいけない
ことがあるので、日本へのお持ち帰りとします。持ち帰りが結構あって忘れそうだ・・・。


先日の時間の有効具合 : 小パニック
                                     エイブラハム・ギリカーン



Posted by ギリ at 09:30│Comments(0)
 
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